2008年03月19日

ファン心理

嫌いなもの、苦手なものは無いに越したことは無いと思う。

しかし、どうしたって受けつけないものだってそれなりにある。生理的にダメ!というものから、何となく敬遠したくなるものまで様々である。

世の中には奇特な人もいるもので、そうした他人の好き嫌いを無理矢理克服させようと色んな攻撃を仕掛けてきたりする。それも確信犯的な好意に基づくものだから、相手の気持ちを損ねないようにやんわりと断るのが難しかったりする。かくして、自らのコミュニケーション不足を実感することとなる。


例えば食べ物に関して言えば

僕は納豆と海老とピータンは一生口にしなくても平気である。

このうち、ピータンは一般的なコンセンサスが得られるものの、他の2つには多く反論を耳にすることになる。「何で、何で、どうして?」から始まりしまいには「こんな旨いものの価値が分からんなんて、あんた一生損するよ」とまで言われる。いいじゃないの、俺の人生だし・・・。

世の中にどれだけの食材があるか分からんが、そのうちのたった3種類くらい嫌いなものがあったって構いやしない。俺がそれを嫌いで誰かに迷惑が及ぶとも思わん。と言うと、「食べん人は必ずそう言う」と反論。こっちにしてみれば「いっぺんうちの納豆食べてごらん。どんなに納豆嫌いな人でも絶対美味しいって言うよ」と何度聞いたことかと反論したくなるんだが・・・(苦笑)。

食べ物以外の分野でもこうしたことは多々あり得るもので、「好き」か「嫌い」かで表現可能なものに関してはどうしたって意見が分かれるのが常であり、そこに固執する必要もないだろうし、ディベートのプラクティスならともかく、無理矢理相手の意見を自己の論理で封じ込める必要も無いと思う。むしろ、時間やエネルギーの無駄だと思う。

ところがファン心理とはおかしなもので、僕がそれを「好きでない」もしくは「嫌い・苦手」と口にすること自体「許しがたい」と感じるらしく、異常に牙を剥いてくる。僕を執拗なまでに攻撃することで自らのアイデンティティを確立するかのように・・・困ったものだ。若い頃はそういう争いが絶えなかった。

そう、この話をすると必ず喧嘩になるし、必ず敵が増えていくのであまりはっきりと書けないのだが、あるバンドの名刺代わりの1曲―――つまりヒットした代表曲があまり好みでなかったりする。そのバンドは大好きなバンドで他の楽曲はむしろ好みであったりするのに、だ。他の人にしてみれば、その曲こそがバンドを好きになるきっかけで今でもあのバンドならこの曲であると公言する人も多いはずだが・・・。

確かに名曲だと思う。この曲のギターソロも好きだしバンド・アンサンブルもしっかりしている。にもかかわらず、この曲は僕としてはいただけない。僕がそのバンドに求めたものと大きく食い違いを覚え、あまつさえ幻滅さえ感じてしまったのだ。バンドとしては大きな転機を向かえ、その後のサウンドを確立した「運命の1曲」であるにもかかわらず、だ。ファーストアルバムを聴いた時の衝撃は今でも忘れない。

俺たちは最強のリズム隊、最高のヴォーカリスト、そして他に類を見ない全く独創的でイカシたギタリストを擁した世界最高のRockBandだ。このアルバム1枚で世界の度肝を抜いてやるぜ。・・・そんな勢いとパワーに満ち溢れたファーストだった。そして、世界は本当に度肝抜かれた。しかしバンドはキャリアを重ねるごとに紆余曲折を経てだんだんおかしくなっていった。そんな中で出たこのシングルは世界中でヒットし、一躍バンドの代表曲となった。誰もがイントロの1音聞いただけでその曲と分かるくらいに・・・。それでも僕は何故かこの曲にパワーを感じない。あくまで僕だけの感想だが。

そうした楽曲は他のバンドにもいくつかある。いずれも人が聞いたら「え〜〜?あんな良い曲なのに・・・」という曲ばかりである。無闇な争いは避けたいのでバンド名も楽曲もここでは書かないが・・・。

あえて言うが僕は本当にミーハーな音楽ファンで、メロディのはっきりしたPOPな楽曲も大好きである。しかしヒットした楽曲でどんなに好きなバンドがそれをやっていてもどうしても好きになれない曲だって存在する。ヒットしている最中、あまりに耳にしすぎて飽きてしまうというのもあるかもしれない。しかし僕が思うに、真の名曲であればたとえ一時は飽きても時間をおいて再び聴いたとき新たな感動を覚えるはずで、むしろ何度聴いても飽きないのが名曲たる所以だろう。素晴らしい楽曲は時を経て耳にしたとき、多少アレンジなどの古臭さは感じたとしてもその良さ、楽曲の持つ輝きやパワーは少しも失われない。

そういう意味では最近の(特に日本の)楽曲に昔ほどパワーの感じられるものが少なくなったように思う。1曲1曲をリリースする期間が短くなったというのもあるかも知れないが、楽曲のライフサイクルがやたら短い。しかも、ヒットしている間は何となく覚えているのが、その時期を過ぎるともう記憶に残っていない。1年くらいもするとタイトルを聞いてもイントロ、歌いだしを聞いても思い出せず、サビにきてようやく「ああ、あの曲か」となることは多々ある。

似たような曲調、似たようなヴォーカル、似たような歌い方、ついでに言うなら名前も分かりづらいし、顔も名前も覚える前に消えてしまう。特徴が無いから記憶に残らないのだ。これではイカンと他人事ながら思ってしまう。やる方も受け入れる方も望ましくない形で状況が進み、頼れるものは事務所の力だけじゃあまりに悲しい。

逆に、俗に言う「一発屋」でもいい、何か1曲でも後々まで人々の記憶に残る楽曲を残した方が、この世界ではむしろ「勝ち」に等しいんじゃないかとさえ思ってしまう。短い期間にどれだけ多くメディアに登場したかで売り上げにつながるのじゃ、CMや選挙カーの連呼と変わらないんじゃなかろうか?

ぁスイマセン、言葉が過ぎました。つい、筆の勢いで書いちゃっただけです。関係者の皆さん、ゴメンナサイ・・・。

ただね、最近の日本の楽曲聞いていてアレンジだとか楽器の音色なんかは恐ろしく向上したなって感じるんですよ。曲調そのものはピンとこなくても、アコギの使い方とか微妙なリズムの取り方とか各パートの音量バランスが絶妙だったりとか、とにかく最近そういうのにやたら関心がいっちゃうのは確かですね。しいて言うなら、デジタルの時代になってやたら音を詰め込みすぎなんかな?って思う。使えるチャンネルに制限が無くなって逆に音楽の迫力が無くなったって感じます。これは僕の持論だからどうでもいいことなんですけど・・・。

まとまりのない文章で失礼しました。

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posted by 地味・・・偏 at 03:19| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
パワーを感じられない現実は
カバー曲の氾濫に
顕著に表れていると思います
そう感じてかなり久しいです

好きなものを他人に押しつける風潮は確かにありますが
私は他人が嫌いなものを好きになる方が
嬉しかったりします(笑)
Posted by 森田勝里 at 2008年03月21日 22:26
★森田さん

僕はカバー曲大好きなんですが、最近のカバーはちょい安直に
作りすぎているきらいがあると思います。
カバーのやり方にも独創性が欲しいものです。
イカン、また言い過ぎるのでこの辺で(笑)。

人から押し付けられて時間を経て改めて好きになることはありますから
押し付けるのが一概に困るとは思いませんが、感覚的に
好き・嫌いを感じてしまうので相手をむきにさせるのがいけないのかも?
と思ってしまいます。その時は良さが分からないんですね。

刺身とか冷奴食べたい時にステーキ押し付けられるようなもの?
まあ、そんな感じです。気分とかによって左右されやすいものですね。
Posted by 地味・・・偏 at 2008年03月21日 23:13
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