2006年06月18日

GIMME SOME BLUES(前編)

今回は僕の大好きなブルースマンの話です。伝記風にまとめてみました。(文中敬称は略させていただきます)


彼について語り継がれる話の中で僕にはどうしても合点がいかないことがある。どこかで読んだか聞いたか、それがいつだったかも忘れてしまったが、未だに強烈に僕の記憶にあるエピソードだ。

彼はある大物フォーク・シンガーの、タイトルを言えば世界中の誰もが知っているある曲のレコーディングに招かれて雨の中、裸のテレキャスターを持って駆けつけたというのである。
徒歩や自転車ではないだろうが、車や他の乗り物を使ったにしても乗り降りの際に大事なギターが濡れてしまう。
果たして彼ほどのミュージシャンがそんなことをするだろうか?

しかし同時に、彼だったらいかにもそういうことをやってしまいそうで、それが本当だったら彼らしくて格好いいな、とさえ思わせてしまう。

真偽はともかく僕はとりわけこのエピソードが気に入っている。そんなイカしたギタリストが彼だ。
いや、「だった」と言うべきか・・・。

 

話は遡って1943年のシカゴ。
比較的裕福なユダヤ人の家庭に彼は生まれた。
13歳頃からギターを始め、ラジオから流れるブルースに聞き惚れ、そのうち地下鉄に乗って黒人ばかりが集まるクラブに出入りするようになる。

やがて聞くだけでは飽き足らずステージに飛び入り、地元の有名どころとセッションをやるようになる。16歳くらいの頃だ。
マディ・ウォーターズ、マジック・サム、ハウリン・ウルフ、オーティス・ラッシュ、B.B.キング、アルバート・キング、リトル・ミルトン、ジュニア・ウェルズ、リトル・ウォルター・・・ため息が出そうなくらいものすごいメンバーばかりだ。

ブルース・ギタリストとしてはおそろしく恵まれた環境でブルースを愛した少年がキャリアを積んでその才能を開花させようとしていた。彼はもう、かなり有名なギタリストになっていた。
 
その後彼は音楽の歴史的な事件に3度ないしは4度関わっている。
 

着実に腕を磨いていた彼にギタリストとして参加しないかとオファーがあった。
そのバンドのリーダーのことは知っていた。彼と同じく黒人のクラブに出入りしていたからだ。

しかも彼はその男のことをあまり良くは思っていなかった。傲慢でアクが強かったからだ。
しかし、その男がやっているブルースには魅力を感じていたので参加することになった。
そのためにそこでリード・ギターを弾いていた男はサイド・ギターへと転向を余儀なくされた。
アメリカでのホワイト・ブルースの創成期である。
 

そのバンドをマネージメントしていた人物は、同時にある大物フォーク・シンガーをマネージメントしていた。
その関係で彼はそのフォーク・シンガーのレコーディングに参加することになる。

冒頭で述べたのがこの時のエピソードである。
彼はこのとき音楽の歴史に残る名曲でギターを弾いた。(註@)

一緒に参加したのは後に大物プロデューサー兼ミュージシャンとなるマルチ・プレイヤーで、
その時はこの曲を強く印象付けるオルガンを弾いている。
マネージャーのはからいで彼のバンドはニューポート・フォーク・フェスティバルに出演し、
その会場で初めてエレキ・ギターの音を響かせた。
その当時はまだ白人がブルースを演奏るという認識は世の中に無かった。
フォーク畑の人間がマネージメントしていたのもそのせいである。1965年のことだった。
 

その翌日、ストラトキャスターを抱えたかのフォーク・シンガー、オルガン・プレイヤーとともに彼はステージに上がり数曲演奏している。
これは後々まで伝説となる大きな事件となった。(註A)


アコースティックを善しとし、エレキを認めない聴衆が場内騒然とし、
演奏が終わると会場は収集がつかなくなってしまった。
MCを担当していたピーター・ヤーロウが何とか取り成そうとしたが収まらず
それをなだめるためにフォーク・シンガーはアコースティック・ギターを手にステージに戻り、
数曲歌ってやっとことなきを得た。
 
フォーク・フェスティバルから程なくしてフォーク・シンガーはニュー・アルバムの

残りの曲をレコーディングする。
溢れんばかりの才能が次々と形になっていった。
こうして出来上がったアルバムは歴史的な名盤となった。
註B

 もちろん彼も全般に渡ってギターを弾いている。
 
一緒にツアーに出てくれないかと請われた彼はしかし、これを断ってしまう。
まだ自分のバンドでやるべき事が残っていたのだ。

彼はバンドに戻りここでも素晴らしいプレイを繰り広げ、そのアルバムも歴史に名を残すことになった。(註C)

コンサートにはカルロス・サンタナを肇とする国内の有名無名のミュージシャンが最前列に陣取り、彼のギター・プレイを食い入るように見つめていた。
ありとあらゆるブルースのギター・プレイを身につけ、古いブルースの研究にも余念が無かった。

彼は実際、のちに大学で音楽学の教鞭を執っている。
 
しかし、運命のいたずらは時として残酷な現実を引き起こす。

いつの頃からか彼の健康状態に暗い影が忍び寄ってくる。
ツァーが始まり家を離れると眠れなくなってしまうのだ。
「不眠症」これこそが彼を苦しめた最大の元凶で彼はそれが原因で自らのキャリアを縮めてしまった。
彼は自分のやりたい音楽を作り上げるためにバンドを脱退し、新たにバンドを結成する。

このバンドはスーパー・グループと言われたが、彼自身はその呼び名を気に入っていなかったようだ。
アルバム一枚残して自ら立ち上げたバンドを去り、再び宙ぶらりんな生活に戻ってしまう。
 
大物フォーク・ミュージシャンとのセッションで知り合ったオルガンを弾いていた痩せっぽちの青年から声がかかったのはそんな時期だった。

青年は自由なインプロビゼーションで作り上げるジャム・セッションだけのアルバムを作るというアイデアを持っていた。当時そんなアイデアを形にしようという人間はあまりいなかったはずである。
そのアイデアに乗った彼は自宅からあまり離れていないカリフォルニア州はロサンジェルスでのレコーディングを条件としてセッションに参加し、これもまた歴史的な名盤を作り上げた。
(註D)

 

・・たった5曲録っただけで。
彼はレコーディングの途中で家に帰ってしまった。

「眠れない、申し訳ない」という書置きを残して・・・。
一枚のアルバムにするには足りない残りのトラックは代わりに

近辺に滞在していた有名ギタリストが埋めてくれたが、可哀想なくらい評価されていない。
 

と、ここまで書いてきましたが読み返してみると結構な文字数・・・。
一気に書ききるにしても注釈や画像やリンク貼ったりしてると容量オーバーのきらいがあります。
すでに「彼」が何者かとっくにネタバレの感もありますが、とりあえずこのまま名前は伏せて後編に突入したいと思います。
何卒、ご容赦をm(_ _)m

 

6月11日生まれの有名人は
山口 もえ(誕生日に挙式かぁ〜)さん、土佐 礼子さん、チェ・ジウ(本名: チェ・ミヒャン)さん、 故・三木 拓次さん、浜崎 貴司さん、沢口 靖子さん、ジャン・アレジさん、畠山準さん、鈴木 由美子(白鳥麗子でございます)さん、屋鋪 要さん、ジョー・モンタナさん、故トム・プライスさん(悲惨な事故でしたね、合掌)、ちあき 哲也さん、ジャッキー・スチュワート(本名:ジョン・ヤング・ スチュワート)さん、山元 清多さん、ジーン・ワイルダーさん、阿部 進さん、故ジャック・イブ クストーさん、山崎 峯次郎さん、故・豊田 喜一郎さん、故・岡本 一平さん、故・田中舘 秀三さん、故リヒャルト・シュトラウスさん、故ジョン・コンスタブルさんなどなど

 

6月12日生まれの有名人は
釈 由美子さん、里谷 多英さん、岡本 仁志さん、松井 秀喜選手、成清 加奈子さん、宮本 浩次さん、中沢 賢司さん、青木 智仁さん、中村 貴之さん、故・沖 雅也(本名:日景城児)さん、荒川 康男さん、向山 淳子さん、江副 浩正さん、船村 徹(本名:福田 博郎)さん、マモ・ウォルデさん、故アンネ・フランク(本名:アンネリーズ・マリー・フランク)さん、白鳥 伸雄さん、大田昌秀さん、 ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュさん、リチャード・M・シャーマンさん、カール・ホブランドさん、アーウィン・アレンさん(この人の作品、最高です)、フリッツ・リップマンさん、故エゴン・シーレさん、下中 弥三郎さん、ハリー・ジョンストンさん、故・高野 長英さん、故カール・フリードリッヒ・ブルダッハさんなどなど

 

6月13日生まれの有名人は
TAKAYO(本名:大越貴代)さん、伊調 馨さん、神山 さやかさん、下山 亮太さん、渡辺 崇文さん、井上 鞭さん、乾 貴美子さん、森口 博子(本名:花村 博美)さん、河合 美智子さん、服部 尚貴さん、アルベルト城間さん、松前 公高さん、シジマール・アントニオ・マルチンスさん、宮脇 康之さん(ケンちゃんも随分おとなです)、山田 邦子(本名:後藤 邦子)さん、マルコム・マクダウェルさん、一節太郎(本名:曽我英明)さん、クリスト(本名:フリスト・ヴラディミロフ・ヤヴァシェフ、「包む」芸術ねぇ・・・)さん、 梅棹忠夫さん、サミュエル・A・テイラーさん、小沢 不二夫さん、ジュール・ボルデさん、ウィリアム・イェーツさん、田口 卯吉さん、ジェームズ・マクスウェルさん、トマス・ヤングさんなどなど

posted by 地味・・・偏 at 23:36| Comment(2) | TrackBack(0) | Rock | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その「オルガンを弾いていた痩せっぽちの青年」(今はお爺さん)に、ぼくがレコード会社時代に作ったコンピレーションをすごく気に入ってもらえたんです!
ニューヨークへ持って帰ってくれたんです!
という話は、以前ブログでも書きましたが…うれしかったです。


Posted by 細川 at 2006年06月21日 02:02
★細川さん

あの記事を読んだ時は本当にうらやましく思えたものです。
アメリカのRockの創成期から活躍している人と直接対峙する機会なんて一般人にはまずあり得ません。
ましてやそれがあの御大ですから♪
細川さんもさぞや感無量だったとお察しします。

後編はすぐに書くつもりでいたんですが、ちょっと昔の資料でもう一度確認したいことがあって予定より遅れてます。
近日UPいたします。また読んでいただければ幸甚です。


Posted by 地味・・・偏 at 2006年06月21日 23:16
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